男鹿半島・大潟ジオパークWEBサイト
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男鹿半島・大潟ジオパーク

 男鹿半島・大潟ジオパークは、秋田県沿岸部のほぼ中央、北緯40度線をまたぐ位置にあり、

  • グリーンタフをはじめとした日本海沿岸地帯の標準層序を有し、男鹿半島・日本海の形成を含む、7000万年の大地のドラマを雄弁に物語っている
  • 日本最大の潟湖であった八郎潟に、日本最大の干拓工事を施し、かつての湖底を舞台に大規模農業が展開されている
  • 第四紀における大きな地殻変動(マグマ活動、地盤変動)により災害を繰り返し受けており、災害の記憶が多くの慰霊碑や記念碑として地域に残されている

などの特徴を有しています。

 また、地域内には、男鹿国定公園、国指定大潟草原鳥獣保護区などに代表される豊かな自然環境があり、多様な生態系がみられます。

 さらに、疲れた身体を癒す温泉と水量豊かな湧水群、男鹿のナマハゲに代表される文化財や八郎太郎伝説、新鮮な魚介類や米、野菜、果物など、豊富な地域資源があります。そのため、当地域では「大地の物語、大地とひとの物語、大地の恵みの物語と出会う場所」をテーマとしており、大地・環境・人間との深い関わりを多様な角度から実感できる地域となっています。

男鹿半島・大潟ジオパーク位置図

男鹿半島・大潟ジオパーク位置図

 

男鹿半島・大潟ジオパーク衛星写真

男鹿半島・大潟ジオパーク衛星写真

((㈱)地球科学総合研究所)

主な見どころ・おすすめジオサイト

■赤島・入道崎:男鹿半島最古、日本海がまだなかった頃の火山噴出物

 男鹿半島北西端部には、岩石海岸の海食崖に男鹿半島の新生代の地層の土台石と考えられてきた花崗岩質岩石と、その上位の赤島層とよばれる地層が分布しています。

赤島層は赤島溶岩と入道崎火成岩からできていて、男鹿半島で見られる新生代の地層の中ではもっとも古く、日本列島がユーラシア大陸と一体だった7000万年前ころの陸上の火山噴出物です。

赤島溶岩は、安山岩質溶岩であり、花崗岩質岩石を取り巻くように分布しています。

入道崎火成岩はデイサイト質溶結凝灰岩であり、入道崎先端部の「鹿落とし」と呼ばれている断崖でよく見らます。付近の海岸一帯に散在しているこの岩石の礫は、男鹿半島の石焼料理用の石として使われています。なお、花崗岩質岩石については、最近、土台石(基盤岩)というよりは、赤島層のなかにとりこまれた巨大な岩塊(ブロック)ではないかとの考えが出されています。

基盤岩のブロック(ピンク色)と火山噴出物

 

「鹿落とし」の入道崎火成岩類

■加茂青砂:約3000年前の流紋岩と海食洞、津波災害慰霊碑

 男鹿半島西部の地形は、標高715.2mの山頂(本山)を含む急峻な山地です。

西側斜面は雄大な断崖となって日本海に落ちています。この断崖には、3000万年前頃(日本海はまだできていません)の、門前層とよばれる火山噴出物を中心とするいろいろな岩石が分布しています。また、海岸線には打ち寄せる波浪の作用によって多数の奇岩怪石が居並び、さらには大規模な海食洞や天然橋(大桟橋)が作られていて、ダイナミックで美しい景観を呈しています。

加茂青砂周辺に分布する白味を帯びた岩石は、門前層を構成する流紋岩(真山流紋岩)です。集落の南端には、この流紋岩に対して「カンカネ洞」とよばれる海食洞が穿たれています。また、この海岸では1983年日本海中部地震の際、発生した津波によって、遠足に来ていた小学生が大勢犠牲になりました。その慰霊碑は集落の人たちによってずっと大切に守られています。

真山流紋岩の露頭

カンカネ洞

慰霊碑

■八望台:新しい地質時代(第四紀)の3タイプの火山

 男鹿半島では、第四紀の3タイプの火山をみることができます。それらは西から順に戸賀火山、目潟火山群(一ノ目潟、二ノ目潟、三ノ目潟)、寒風火山(寒風山)です。八望台ではこれらの火山を一望することができます。

西側に目をやると、馬蹄形をした戸賀湾が見えます。これは約42万年前にできた戸賀火山(タフリング)がもとになっていて、周囲を取り囲むように、火山噴出物の軽石(戸賀軽石層)が分布しています。戸賀火山の手前の丸い湖は、目潟火山群のひとつの二ノ目潟です。目潟火山群は約8万年前から2万年ほど前までの間にマグマ水蒸気爆発でできた爆裂火口(マール)です。三ノ目潟の湖面は見えませんが、戸賀湾の左側(南方)の凹地として確認することができます。

東方に目をやると眼下に目潟火山群最大の一ノ目潟が広がっています。噴出物中にマントルを構成するカンラン岩がとりこまれていて(捕獲岩)、地球内部への覗き穴として重要です(地質百選に選定)。また、湖底から良好な年縞堆積物(1年を単位とする堆積物の積み重なり)が回収されています。以上の火山は、1回の噴火で活動を終えた単成火山ですが、東方に見えている寒風山は噴火を何回も繰り返してできた複成火山(成層火山)です。

二ノ目潟(手前)と戸賀湾(海側)

 

寒風山(写真下部の水面は一ノ目潟)

■潮瀬崎:約3000万年前の火砕流とそれを貫くマグマの通り道

 潮瀬崎の海岸は、隆起波食台の地形を示しています。ここでは、潮瀬ノ岬砂礫岩とよばれ、門前層の上部を構成する地層を見ることができます。砂礫岩とよばれるものの、これは約3000万年前の火砕流堆積物であることが判明しています。

このほか、砂岩や泥岩も分布しています。この地層は玄武岩質のマグマによって貫かれています(貫入岩)。これらはマグマの通り道にあたりますが、地層の積み重なりの面(層理面)に対して低角度で貫入したものを岩床、高角度のものを岩脈といいます。ここでは両方とも観察することができます。貫入が起こったのは、火砕流の堆積後であるはずであり、玄武岩の年代測定では約2000万年前という値が出ています。また、この海岸では、ゴジラ岩をはじめとするさまざまな自然の造形を楽しむことができます。

火砕流堆積物と貫入岩

 

ゴジラ岩

■西黒沢海岸・・・日本海ができたばかりのころの浅い海の地層

 日本海は、ユーラシア大陸の東の縁の部分が裂け、現在の日本列島の位置に移動することにより、1500万年前頃に形成されたと考えられています。西黒沢海岸には、この頃の地層(西黒沢層)が分布しています。

当時の男鹿半島は浅い海であり、そのことは、この地層が礫や砂など粒の大きいものからできていることが物語っています。また、海で堆積していますから、地層の中にはいろいろな種類の海の生物の化石が含まれています。とくに、オパキュリナとよばれる石灰質の殻をもち、海面を漂いながら生活しているプランクトン(浮遊生有孔虫)の化石が密集しています。この化石は、地層の年代決定に非常に役にたちます。また、この化石は現在の亜熱帯の海域に生息しており、当時の男鹿半島周辺の海は暖流の影響が強かったことを伝えています。

西黒沢層の露頭

 

オパキュリナの化石

鵜ノ崎海岸 褶曲

鵜ノ崎海岸 褶曲

■鵜ノ崎海岸:日本海がもっとも広かった頃の地層

 鵜ノ崎海岸には、波食台が広がっています。このため、満潮時には高いところを除いて水没しますが、干潮時には広く陸化します。この波食台を構成する岩石は女川層とよばれ、約1000万年前を前後するころの地層です。岩石は泥岩であり、礫や砂など粒子の大きいものは含まれていません。

この頃の日本海の海岸線は、はるか東方の北上山脈の西の縁付近にあったと考えられており、大きな粒子が運び込まれるような位置にはありませんでした。また、地層中に含まれる底生有孔虫(海底で生活している有孔虫)にもとづいて、水深は約3000mあったと考えられています。当時の日本海は、現在より広く、男鹿半島付近には深い海が広がっていたことになります。岩石の中には、魚の骨やウロコの化石が含まれています。この海岸は、光が斜めに差し込む朝夕の時間帯は非常に美しく、日本の渚百選に選定されています。

■生鼻崎:乱泥流が繰り返し発生して形成された地層

 生鼻崎には、巨大な断崖が続いています。この崖には北浦層とよばれる地層が現れています。北浦層は、約180万年前から堆積しはじめた非常に厚い地層ですが、この崖で見られるのは、その上部、70-50万年前くらいの部分にあたります。

この地層は、ほぼ平行な縞模様(層理)がたくさん見られることが特徴です。このような特徴は、乱泥流が繰り返し発生し、砂層と泥層が繰り返しながら重なっている(砂泥互層)ことから生じています。乱泥流は、いったん大陸棚に堆積した物質が地震の揺れなどをきっかけとして液状化し、より深いところへと移動してゆく堆積物の流れのことです。当時の海底は乱泥流を発生させやすい不安定な環境にあったのでしょう。この崖の上の高台には、中世に栄えた安東氏の居城址(史跡 脇本城跡)があります。

北浦層の露頭

脇本城跡

■安田海岸:最近約50万年間の環境変動、地殻変動、大規模火山活動

 安田海岸の海食崖には、新しい(上位)地層から順に五里合層、潟西層、鮪川層、脇本層が分布しています。これらの地層の中には、4枚の遠来の火山灰(広域火山灰)が挟まれており、日本列島では巨大噴火が繰り返されていたことを教えています。それらは、上位のものから順に阿蘇4火山灰、洞爺火山灰、阿蘇1火山灰、白頭山-男鹿火山灰です。

また、白頭山-男鹿火山灰のすぐ下には、戸賀火山由来の噴出物(戸賀軽石層)も見られます。これらの火山灰は噴出年代がわかっており、それによるとこの崖に現れている地層は、約45万年前から7万年前ほどの間に堆積しました。この時代には、氷期-間氷期の大規模気候変動が何度も起こっていました。海面は、この気候変動に連動して昇降を繰り返したため、安田海岸の地層は、高海面期に海で堆積した地層(海成層=海の生物の化石を含みます)と、亜炭層に代表される陸で堆積した低海面期の地層(陸成層)が繰り返しています。地層の傾き(傾斜)は規則的に変化しており、下位ほど急傾斜しています。このことは、過去約40万年間、西側が隆起するような地殻変動が続いていたことを示しています。

五里合層と潟西層

潟西層と鮪川層の傾斜不整合

鮪川層下部

■寒風山:眺望にすぐれた成層火山

 寒風山は、約2万数千年前から4段階(ステージ)にまとめられる火山活動で出現した成層火山です。

頂高は低いのですが(354.8m)周囲の低地から突出しているため、すぐれた眺望に恵まれています。山頂から西方をのぞむと、遠方に男鹿半島西部の山地を、そして、眼下に二つの火口を見ることができます。北側の大きな火口が第一火口、南側に隣接するすり鉢状の凹地が第二火口です。第一火口には手前(南側)から、もっとも新しい溶岩(妻恋峠溶岩)が流れ込んでいます。溶岩の流動によって表面には溶岩皺が形成されており、そのため、火口内の地表面は波打ったようになっています。

東方には、大潟村の干拓地とそれをとりまく八郎潟の残存湖(八郎湖)が一望できます。秋田湾の海岸線には、3列の砂丘列(天王砂丘)が海岸線とほぼ平行に美しい弧状を描いて分布しています。この砂丘は、縄文時代以後にできたものであり、内側のものほど古くなります。縄文時代以降、秋田湾沿岸部では陸地が最大約3km海側に広がりました。

寒風山(写真右が第一火口、左に第二火口)

天王砂丘(写真中1,2,3)

■大潟村:人工の大地と八郎潟の記憶

 大潟村の前身は、日本最大の潟湖の八郎潟です。この湖は、最大水深約4mの広大な湖底平原を有していました。1950年代後期に始まった第二次世界大戦後最大の干拓工事により、農地に生まれ変わりました。干拓地周囲の水域は八郎潟の残存湖であり、八郎湖とよばれています。干拓の記憶は大潟村干拓博物館の展示や村内に設置されている八郎潟干拓記念碑・水位標などのモニュメントで知ることができ、さらに、干拓堤防などの干拓地特有の維持管理施設も見学することができます。干拓地のほぼ中央部には干拓記念水位塔と標高3.776m(富士山の1/1000)の大潟富士が設けられ、登山を楽しみながら、かつての八郎潟の水位を実感することができます。

 八郎潟の湖底に人工の大地が出現してすでに半世紀あまりになりますが、現在では村の中に猛禽類のチュウヒなどを頂点とする新たな生態系「湿地性里山」が出現しつつあります。また、大潟村には「地球の十字路」である北緯40度、東経140度の経緯度交会点があり、その位置にはモニュメントが立てられています。10度ごとの経緯度交会点が陸地にあるのは、日本ではここだけです。

空から見た大潟村

干拓記念水位塔と大潟富士

経緯度交会点

拠点施設

男鹿半島・大潟ジオビジターセンター

■男鹿半島・大潟ジオビジターセンター

〒010-0341 秋田県男鹿市船越字一向207-219(男鹿総合観光案内所内)

TEL 0185-35-5300 Fax 0185-25-5400

大潟村干拓博物館

■大潟村干拓博物館

〒010-0445 秋田県南秋田郡大潟村字西5-2

TEL: 0185-22-4113 Fax: 0185-22-4115

WEBサイト: 大潟村干拓博物館

基本情報

地域名:男鹿半島・大潟ジオパーク

団体名:男鹿半島・大潟ジオパーク推進協議会

代表者名:会長 男鹿市長 渡部 幸男

構成自治体名:男鹿市、大潟村(1市1村)

推進組織体制

ジオパーク活動母体:男鹿半島・大潟ジオパーク推進協議会

(構成団体)
 男鹿市、大潟村、男鹿市商工会、(社)男鹿市観光協会、(株)ルーラル大潟
 NPO法人あきた地域資源ネットワーク、大潟村案内ボランティアの会

問合せ先

■男鹿半島・大潟ジオパーク推進協議会

〒010-0595 秋田県男鹿市船川港船川字泉台66-1 男鹿市役所内

TEL: 0185-24-9104(2422) FAX: 0185-24-9156

■大潟村役場 総務企画課

〒010-0494 秋田県南秋田郡大潟村字中央1-1

TEL: 0185-45-2111

■公式ウェブサイト

男鹿半島・大潟ジオパーク