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島原半島ジオパーク

 島原半島ジオパークは日本の西端、九州の長崎県南部に位置しています。雲仙火山を中心とした三市(島原・雲仙・南島原)の行政区域全てがジオパークの認定を受けています。

本地域の特徴は、雲仙火山による火山地形や、千々石断層などのダイナミックな断層地形をはじめとした地質的多様性を持つ点でありますが、加えて2つの大きな火山災害を経験した地域でもあります。「島原大変肥後迷惑」「雲仙・普賢岳噴火災害」と呼ばれるこれらの災害では、この地域に甚大な被害を与えましたが、現在地域には15 万人の人口があり、火山とともに暮らしています。

また、雲仙普賢岳は平成噴火(1990-1995)の際、溶岩ドームの生成過程など噴火の一部始終が科学的に詳細に観察された初めての火山であることでも知られています。また、原城に代表される「島原の乱」史跡や、小浜温泉、雲仙温泉、島原温泉、原城温泉といった、それぞれ泉質の全く異なる温泉群も特筆できます。このように2つの大きな噴火災害からの復興と、人々の生活の中に火山の恵みである温泉や湧水を取り入れた「火山と人間との共生する」ジオパークであります。

主な見どころ・おすすめジオサイト

■早崎玄武岩

 島原半島最南端に位置する早崎半島の海岸沿いには、真っ黒い溶岩流が分布し、現在の雲仙普賢岳が噴出する溶岩とは色も組織(見てくれ)も全く異なっています。これは島原半島の中で最も古い岩石の一つである早崎玄武岩で、その年代は約430万年前と推定されています。

島原半島を作り出した最初の噴火は、海底からの火山噴火から始まりました。最初は、高温のマグマと海水が直接触れあって大爆発が何度も生じ(マグマ水蒸気爆発)、細かい火山灰が水中に堆積しました。その火山灰層の中には、爆発によって空中を飛来してきた火山弾が突き刺さっているのが認められる事があります。

火山体が成長し、マグマと海水が直接触れなくなった後は、この火山灰層の上を粘り気の低い玄武岩質の溶岩流が覆いました。火山灰層の上面は、流下した高温の玄武岩質溶岩によってレンガのように赤く焼かれている様子も観察出来ます。

早崎玄武岩(黒い岩)とその下位の火山灰

早崎玄武岩(黒い岩)とその下位の火山灰
(凝灰岩)層(黄色みがかった層)

 

火山弾の凝灰岩への落石痕

■原城跡

 1637年に起こった「島原の乱」の激戦地で、世界文化遺産登録を目指している原城趾は、その歴史的な重要さだけでなく、地質学的にも重要なジオサイトです。

原城趾は標高約30mほどの平坦な高台にありますが、この起伏の少ないなだらかな地形は、約9万年前に阿蘇火山が引き起こした巨大噴火に伴う大規模火砕流(Aso-4火砕流)が、地形の起伏を埋める事によって出来ています。この大規模火砕流に伴って巻き上げられた火山灰は日本全土を覆い、北海道網走市でも、厚さ10cmの火山灰層として確認する事が出来ます。海岸沿いの露頭では、下位の口之津層群とAso-4火砕流が不整合で接している様子を確認する事が出来ます。

原城跡の崖に露出するAso-4火砕流
(上の白い層)

 
 

海岸近くで観察出来る
雲仙火山のはじまりの地層

■龍石海岸

 雲仙火山の形成前は、口之津層群と呼ばれる地層が浅い海等の水中に堆積していました。その年代は250万~70万年前と推定されています。一方、現在の島原半島の中央にそびえる雲仙火山は、およそ50万年前から活動をはじめました。よって、口之津層群は、雲仙火山の噴出物が堆積するまでの20万年間、浸食され、表面がでこぼこになりました。

 雲仙火山の山体は、最初は現在の小浜温泉から雲仙温泉付近に形成されたと考えられています(“小浜火山”とも呼ばれています)。小浜火山は、約50万年前に軽石を放出するような爆発的な噴火を起こし、「古期雲仙火山の噴出物」(写真中の人物の顔の付近にある層)を龍石海岸まで到達させました。その後、小浜火山は小規模な噴火を繰り返したものの、龍石海岸は小浜火山から遠く離れていたため、噴出物は龍石海岸まで到達できませんでした。約20万年間、最初に龍石海岸に到達した「古期雲仙火山の噴出物」は削られ、再び表面にでこぼこが出来ました。

 「古期雲仙火山」が成長をやめ、30万年前から「中期雲仙火山」が活動を開始しました。約29万年前、それまで成長を続けてきた中期雲仙火山は、次第に富士山のような長い裾野を引きはじめました。この裾野の一部が龍石海岸まで達し、土石流のような堆積物を何枚も堆積させました。この時の活動によって、龍石海岸に堆積した地層は、「中期雲仙火山の噴出物」(写真中の人物の頭の上にある、レキを大量に含んだ層以上全て)と呼ばれています。口之津層群は、約250 万~70 万年前に堆積した地層であります。雲仙火山は、約50 万年前から活動を始めました。その活動の中心は現在の雲仙市小浜町から雲仙にかけての地域と考えられています。その雲仙火山が成長し、裾野が南島原市一帯にも及び始めたのは、約30万年前のことであります(大塚ほか,1995)。この海岸では、雲仙火山が最初に噴出した土石流堆積物を観察することができます。

千々石断層

■千々石断層

 千々石断層は雲仙市千々石町付近にある正断層で,島原半島内で最も明瞭な断層地形を呈しています。断層の総延長は14km,最大落差は田代原(たしろばる)付近で450m以上に達し,1000年間で約1.5m(年間1.5 mm)の割合で断層の南側が沈降しています。断層の南側が沈降しているため,この断層を境にして海岸線が内陸側に入り込み, 橘湾のきれいな円弧状の海岸線が形成されています。

白土湖

■白土湖

 眉山の崩壊に伴って、島原市上の原地区の井戸から大量の水が湧き出て一帯が大池になったのが白土湖であります。この白土湖の出現により、主要道である島原街道が分断されたため、水路を堀り排水することとしました。この水路は、災害前の海岸線とほぼ一致し、勾配が緩やかであったことから川の流れの音がしないため『音無川』と名づけられました。

■眉山山体崩壊

 1792年,島原市の西にそびえる眉山は,雲仙普賢岳噴火の最末期に頻発した大きな地震によって崩壊しました。崩壊した土砂は岩屑なだれとなって,当時の島原の町の南側を埋め尽くしただけでなく,一気に有明海に突っ込んで大きな津波を発生させました。この津波は対岸の肥後の国(熊本)にも押し寄せ,島原半島,熊本側の双方で甚大な被害を引き起こしました。この災害による犠牲者は15,000人に達し,有史以降,国内最大の火山災害となっています。

島原市秩父が浦の流れ山

島原市秩父が浦の流れ山

 

島原市仁田団地からの見た流れ山

平成新山 (溶岩ドーム)

■平成新山 (溶岩ドーム)

 雲仙岳の平成噴火では、2 億m3におよぶデイサイト質のマグマ噴出がありましたが、部分的な崩落を繰り返し、現在の溶岩ドームの体積は約半分の1億m3 になっています。東側斜面には溶岩ドームが垂れ下がるように乗っています。山頂部には、スパイン(溶岩尖塔)の特徴的な姿が見られます。平成新山の表面は大小の溶岩塊で覆われ、崩落の危険もあるため現在のところ一般の登山は禁止されています。

■仁田峠

 仁田峠からロープウェイで妙見岳に登ると、平成新山の山頂も間近に眺めることができます。また、仁田峠手前の第2展望所からは、平成新山の側面が眺められ、崩壊した妙見岳、そのカルデラの中に成長した普賢岳、さらに普賢岳に新たにできた平成新山を同時に見ることができます。

仁田峠

 

仁田峠第2展望所からの眺め

「定点」に建てられたモニュメント

■上木場火砕流被災遺構(1991年6月被災)

 1991年6月3日の火砕流により高温の火砕サージで多くの犠牲者を出した上木場の被災地は、住民と行政が連携して災害遺構の保存が行われています。

消防団の詰め所となっていた北上木場農業研修所跡には、建物の基礎部分、半鐘と焼けただれた消防車が保存されています。また、報道陣が取材活動を続けていた「定点」と呼ばれる撮影拠点には、現在では白い三角錐の塔が建てられています。周囲では1991 年6 月の一連の火砕流堆積物を観察することができ、学術的にも災害の教訓を伝承するうえでも貴重な場所のひとつであります。

■ 大野木場被災遺構(1991 年9 月被災)

 大野木場小学校は1991年9月15日、火砕サージにより焼失しました。この旧大野木場小学校被災校舎が当時のまま保存されています。校庭のイチョウの樹も校舎と共に焼かれてしまいましたが、翌年には緑の芽を出し、この樹の見事に復活しました。

旧大野木場小学校被災校舎

 

校庭のイチョウの樹

■ 千本木被災遺構(1993年6月被災)

 千本木地区は1993年6月23,24日の2日間にわたって断続的に発生した火砕流と火砕サージによって,壊滅的な被害を受けました。現在,この地区は土石流の発生を軽減するための砂防工事が行われていますが,一部のサイトでは火砕流堆積物が堆積した時と同じ状態で保存されており,堆積物とその発生時刻との対応関係が精密に分かっている数少ない場所です。また,一部の被災家屋や災害遺構も保存されています。

被災家屋

 

千本木から見た平成新山

■ 土石流被災家屋保存公園

 島原市と南島原市の境を流れる水無川では、噴火活動中、たびたび大規模な土石流を発生しました。土石流により多くの家屋や田畑が埋没しましたが、その家屋を保存して展示しています。また周辺は道の駅として整備されており、記録映画の上映もあります。現在でも10 年以上前の土石流による被害を生々しく感じることができます。

土石流被災家屋保存公園

土石流被災家屋保存公園

 

隣接する道の駅「みずなし本陣ふかえ」

隣接する道の駅「みずなし本陣ふかえ」

平成新山ネイチャーセンター

■垂木台地の自然回復

 火砕流で焼き尽くされた垂木台地に、自然観察の拠点として「平成新山ネイチャーセンター」が建てられました。溶岩ドームの直下わずか2km の地点にあり、崩落などの危険な時には逃げ込むことができるシェルターも併設されています。

施設内には、火山活動を記録した地層断面や雲仙火山の成り立ち、火砕流の温度測定に使われた観測器が展示されています。屋外には火山砕屑物の堆積断面が観察できる場所もあります。また付近の原野では、自然回復のための調査研究も行われています。

拠点施設

■雲仙岳災害記念館(がまだすドーム)

〒855-0879 長崎県島原市平成町1番地1

TEL: 0957-65-5555 FAX: 0957-65-5550

E-mail info@udmh.or.jp

 大迫力のドーム型スクリーンで火砕流・土石流を疑似体験できる「平成大噴火シアター」をはじめ、火山や防災について11のゾーンに分けて展示しています。見て触れてリアルに体感しながら、わかりやすく学習できる日本で唯一の「火山体験ミュージアム」です。

雲仙岳災害記念館
雲仙岳災害記念館

 

火砕流の道
火砕流の道

基本情報

地域名:島原半島ジオパーク

団体名:島原半島ジオパーク協議会

代表者名:会長 島原市長 古川 隆三郎

構成自治体名:島原市、雲仙市、南島原市 (3市)

推進組織体制

ジオパーク活動母体:島原半島ジオパーク協議会

(構成団体)
 島原市、雲仙市、南島原市、長崎県、国土交通省、環境省、林野庁、九州大学、半島内観光協会、ガイド団体など約30団体で構成

問合せ先

■島原半島ジオパーク協議会

〒855-0879 長崎県島原市平成町1番地1 がまだすドーム内

TEL: 0957-65-5540 FAX: 0957-65-5542

■公式ウェブサイト

島原半島ジオパーク